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2006年7月24日 (月)

空海と道元

般若心経秘鍵と正法眼蔵の摩訶般若波羅蜜

真言宗でも曹洞宗でも般若心経は読誦されている。
両宗祖は般若心経を如何ように説かれておられるのか、
空海「般若心経秘鍵」 
頼富本宏 訳注 ちくま学芸文庫 空海コレクション2
道元「摩訶般若波羅蜜」
増谷文雄 訳注 講談社学術文庫 正法眼蔵(一)
を読んでみる。

<般若心経秘鍵は密教の視点から独自の解釈をほどこした書である> 
と書かれている。門外漢(拙者)に仏教諸宗派の違いなどわかるものではない。
しかしこの書はまさしく般若心経の解説書であった。難解で理解しがたい言葉も多い。しかし不明な箇所は自己(拙者自身)の無知にもとめられるものであって、解説そのものは丁寧に優しくなされていると感じられる。
いろいろな菩薩さまの本意もそこにあったのか と改めて気づかされる。
名訳の故もあろうが、その解説は清流のごとくながれ、多少の意味不明箇所など どうでもよいと思われてくる。
<正法眼蔵も至極難解な書である>と言われている。一文字一文字を丁寧に読み解いてゆかねばならない。しかし難解な言葉を一つでも理解できたとき、ああそうか! と思わず膝を打ってしまうのである。一気に問題が氷解するのである。
どちらも大師さまのお言葉である。衆生の者の解釈に
<手を拍ち、心を快くす>とはおもわれないが、素人なりの読解をしてみる。

玄奘法師漢訳「般若心経」 白文
摩訶般若波羅蜜多心経
観自在菩薩行深般若波羅蜜多時照見五蘊皆空度一切苦厄舎利子色不異空 空不異色色即是空空即是色受想行識亦復如是舎利子是諸法空相不生不滅不垢不浄不増不減是故空中無色無受想行識無眼耳鼻舌身意無色声香味触法無眼界乃至無意識界無無明亦無無明尽乃至無老死亦無老死尽無苦集滅道無智亦無得以無所得故菩提薩埵依般若波羅蜜多故心無罣礙無罣礙故無有恐怖遠離一切顚倒夢想究竟涅槃三世諸仏依般若波羅蜜多故得阿耨多羅三藐三菩提故知般若波羅蜜多是大神呪是大明呪是無上呪是無等等呪能除一切苦真実不虚故説般若波羅蜜多呪即説呪曰羯諦羯諦波羅羯諦波羅僧羯諦菩提娑婆訶
般若心経

摩訶般若波羅蜜多心経
<観自在菩薩、行深、般若波羅蜜多時、照見、五蘊皆空、度一切苦厄。>

正法眼蔵;
観自在菩薩の行深般若波羅蜜多時は、渾身の照見五蘊皆空なり。
五蘊は、色・受・想・行・識なり、五枚の般若なり。照見これ般若なり。

般若心経秘鍵;
第一人法総通分有五因行証入時是也  
第一の人法総通分に五有り。因・行・証・入・時、是れなり。
言観自在能行人即此人本覚菩提為困深般若能所観法即是行 
「観自在」といっぱ、能行の人、即ちこの人は、本覚を因とす。
   「深般若」は、能所観の法、即ち是れ行なり。
照空則能証智度苦則所得果果即入也
   「照空」は、即ち能証の智、「度苦」は、則ち所得の果、果は即ち入なり。
依彼教人知無量依智差別時亦多三生三劫六十百妄執差別是名時頌曰
かの教に依る人の智、無量なり。智の差別に依って、時また多し。
三生・三劫・六十・百妄執の差別、是れを時と名づく。頌に曰く、
観人修智慧深照五衆空 歴劫修念者離煩一心通
    観人智慧を修して深く五衆の空を照す 歴劫修念の者 煩を離れて一心に通ず

* 眼蔵では「渾身・般若」で説かれているだけだが、秘鍵ではより詳しい解説がなされている。ああそういうことかと納得する以外ない。

舎利子、
<色不異空、空不異色、色即是空、空即是色。受想行識、亦復如是。>
正法眼蔵;
この宗旨の開演現成するにいはく、色即是空なり、空即是色なり。
色是色なり、空即空なり。百草なり、万象なり。

般若心経秘鍵;
第二分別諸乗分亦五建絶相二一是也 
第二の分別諸乗分に、また五つ有り。建・絶・相・二・一、是れなり。
初建者所謂建立如来三摩地門是色不異空至亦復如是是也 
初めに、建といっぱ、所謂、建立如来の三摩地門是れなり。
「色不異空」というより、「亦復如是」に至るまで、是れなり。
建立如来即普賢菩薩秘号    
建立如来といっぱ、即ち普賢菩薩の秘号なり。
普賢円因以円融三法為宗故以名之  
普賢の円因は、円融の三法を以て宗とす。故に以て之に名づく。
又是一切如来菩提心行願之身頌曰
また是れ、一切如来の菩提心行願の身なり。頌に曰く、
色空本不二事理元来同無碍融三種金水喩其宗
色空本より不二なり 事理元より来同なり無げに三種を融ず 
金水の喩その宗なり
 

* ここでは「空」と「色」との関係が説かれている。
眼蔵では<色是色なり、空即空なり。百草なり、万象なり。>で、空と色との区別が
示され、
秘鍵では<色空本より不二なり 事理元より来同なり 無げに三種を融ず金水の喩その宗なり>と「空」と「色」が其々単独で存在するものではなく、融合しているものであることが説かれている。
 
舎利子、
<是諸法空相、不生不滅、不垢不浄、不増不減。>
般若心経秘鍵;
二絶者所謂無戯論如来三摩地門是也是  
二に、絶といっぱ、所謂、無戯論如来の三摩地門是れなり。
諸法空相至不増不減是 
「是諸法空相」というより、「不増不滅」に至るまで是れなり。
言無戯論如来即文殊菩薩密号
無戯論如来といっぱ、即ち文殊菩薩の密号なり。
文殊利剣能揮八不絶彼妄執之心乎是故以名頌曰
文殊の利剣は、能く八不を揮ってかの妄執の心をを絶つこの故に以て名づく。
頌に曰く、
文殊是彼人独空畢竟理義用最幽真
八不に諸戯を絶つ文殊は是れかの人なり 独空畢竟の理義用最も幽真なり 
 
正法眼蔵(別項);
仏薄伽梵は般若波羅蜜多なり。般若波羅蜜多は是諸法なり。この諸法は空相なり、
不生不滅なり、不垢不浄なり、不増不減なり。この般若波羅蜜多の現成せるは、
仏薄伽梵の現成せるなり。

* 秘鍵では【八不絶諸戯】から龍樹の教えを説かれたであろうことは明白であろう。
眼蔵では六不であるが、【仏薄伽梵】は龍樹菩薩と考えてもよいだろう。
龍樹は空海にとっても、道元にとっても、仏祖である。 
さらに道元は「現成公案」のなかで【不生不滅】について説く。
  
たき木はひとなる、さらにかへりてたき木となるべきにあらず。しかあるを、灰はのち、薪はさきと見取すべからず。しるべし、薪は薪の法位に住して、さきありのちあり。前後ありといへども、前後際断せり。灰は灰の法位にありて、のちありさきあり。かのたき木、はひとなりぬるのち、さらに薪とならざるがごとく、人のしぬるのち、さらに生とならず。
  しかあるを、生の死になるといはざるは、仏法のさだまれるならひなり、このゆゑに不生といふ。死の生にならざる、法輪のさだまれる仏転なり、このゆゑに不滅といふ。
  生も一時のくらゐなり、死も一時のくらゐなり。たとへば冬と春とのごとし。冬の春となるとおもはず、春の夏となるといはぬなり。

「空」とは 文殊菩薩の教えであり、龍樹菩薩の教えであり、仏薄伽梵であり、
般若波羅蜜多であること が理解される。

<是故空中。無色無受想行識、無眼耳鼻舌身意、無色声香味触法。
無眼界、乃至、無意識界、>
般若心経秘鍵;分別諸乗分(相乗)
三相者所謂摩訶梅多羅冒地薩怛三摩地門是也
三に、相とは、所謂、摩訶梅多羅冒地薩怛ばの三摩地門、是れなり。
是故空中無色至無意識界是也
「是故空中無色」というより、「無意識界」に至るまで是れなり。
大慈三昧以与楽為宗示因果為誡
大慈三昧は、与楽を以て宗とし、因果を示して誡とす。
相性別論唯識遮境心只在此乎頌曰
相性、別論し、唯識、境を遮す。心、只だ此れに在り。頌に曰く
二我何時断三祇証法身阿陀是識性幻影即名賓 
二我何れの時にか断つ三祇に法身を証す 
阿陀は是れ識性なり幻影は即ち名賓なり

正法眼蔵;
般若波羅蜜多十二枚、これ十二入なり。また十八枚の般若あり、
眼耳鼻舌身意、色声香味触法、および眼耳鼻舌身意識等なり。

* 秘鍵、眼蔵ともに【一切法】であるところの 十二処・十八界の教えが
説かれている。

<無無明、亦無無明尽、乃至、無老死、亦無老死尽。無苦集滅道>、
般若心経秘鍵;分別諸乗分(二乗)
四二者唯蘊無我抜業因種是也是即二乗三摩地門也   
四に、二といっぱ、唯蘊無我、抜業因種、是れなり。是れ即ち二乗の三摩地門なり。
無無明至無老死尽即是因縁仏之三昧頌曰 
「無無明」というより、「無老死尽」に至るまで、即ち是れ因縁仏の三昧なり。
頌に曰く、
風葉知因縁輪廻覚幾年露花除種子羊鹿号相連  
風葉に因縁を知る輪廻 幾の年にか覚る露花に種子を除く羊鹿の号相連れり
無苦集滅道此是一句五字即依声得道之三昧頌曰
「無苦集滅道」、此れこの一句五字は、即ち依声得道の三昧なり。頌に曰く、
白骨我何在 青人本無 吾師是四念羅漢亦何虞 
白骨に我何んか在る青おに人本より無し吾が師は是れ四念なり
羅漢また何ぞ虞まん。

正法眼蔵;
また四枚の般若あり、苦集滅道なり。

* ここで眼蔵【摩訶般若波羅蜜】では十二因縁についての記述はないが、
【弁道話】のなかでは否定的に記されている。

この知見によりて、空華まちまちなり、あるいは十二輪転・二十五有の境界とおもひ、三乗五条・有仏無仏の見、つくることなし。この知見をならうて、仏法修行の正道とおもふべからず。

<無智亦無得。以無所得。故、>
般若心経秘鍵;分別諸乗分(一乗)
五一者阿哩也路枳帝冒地薩怛之三摩地門也
    五に、一とは、阿哩也ば路枳帝冒地薩怛ばの三摩地門なり。
無智至無所得故是也 
「無智」というより、「無所得故」に至るまで、是れなり。
此得自性清浄如来以一道清浄妙蓮不染開示衆生抜其苦厄 
この得自性清浄如来は、一道清浄妙蓮不染を以て、衆生に開示して、
その苦厄を抜く。
智挙能達 得名所証既泯理智強以一名
智は、能達を挙げ、得は、所証に名づく。既に理智を泯ずれば、
強ちに一の名を以てす。
法華涅槃等摂末帰本教唯含此十字 
『法華』『涅槃』等の摂末帰本の教、唯だこの十字に含めり。
諸乗差別智者察之頌曰 
諸乗の差別、智者、之を察せよ。頌に曰く、
観蓮知自浄見菓覚心徳一道泯能所三車即帰黙 
蓮を観じて自浄を知り菓を見て心徳を覚る一道に能所を泯ずれば三車即ち帰黙す 

正法眼蔵;
また六枚の般若あり、布施・浄戒・安忍・精進・静慮・般若なり。

* 【智・得】は【六波羅蜜】であると理解される。

門外漢(拙者)にとって、現代語の「般若心経」を読んでもっとも不可解であった
是故空中無色、無受想行識、・・・。(この故に、空の中には、色もなく、受も想も行も識もなく、・・・。)
の「無」は「無視」されている。
【眼耳鼻舌身意、色声香味触法。眼界、乃至、意識界】、は
【十二枚の般若波羅蜜多(十二処)であり、また十八枚の般若(十八界)】であり、
【智は、能達を挙げ、得は、所証に名づく】となっている。
「是故空中無色、無受想行識、・・・」、「無智亦無得」に於ける「無」の解釈は示されていない。 
正法眼蔵では「摩訶般若波羅蜜の別項」において【無】が説かれている。しかしこれはたんなる「有無」の「無」ではない。

この正当敬礼時、ちなみに施設可得の般若現成せり、いはゆる戒定慧乃至度有情類等なり。これを無といふ。無の施設、かくのごとく可得なり。これ甚深微妙難測の般若波羅蜜なり。

真言、曹洞のニ宗祖の「般若心経」をここまでみてきた。
表現は異なるが、説こうとされていることには、大きな違いは見出せず、
極めて似ているようにおもわれる。
以下は般若心経秘鍵での、行人得益分、総帰持明分、秘蔵真言分となる。
いまの門外漢には立ち入りがたい。

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