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2007年8月23日 (木)

Heart Sutra made in China ?

「般若心経」はJan Nattierによる文献的考察からだけでなく、内容そのものからもメイド・イン・チャイナ、すなわち「中国のお経=偽経」であろうと推察される。

般若心経を漢文として論理的に読解し 「是故に空は中なり。色無く受想行識無ければ、・・・」と読みさえすれば、空と無は明確に区別され、論理は整然とした三段論法となり、「空は不有不無であり 中である」 という中村 元 博士の説とも符合するようになるのである。

しかし仏教漢文の読み方に従えば、「是故空中無色・・・・」 は「これゆえ空のなかは無・・・・」と読まれる。この読み方では「空のなかは無」すなわち空と無は同じことになってくる。

前文で「五蘊皆空」、「色即是空」と言っておきながら、「是故空中無色・・・・、これゆえ空のなかは無色・・・・」などと言う まったく矛盾した言いかたは インドの論理的精神構造からは およそ考えられるものではない。空の体系を確立したといわれる龍樹は、異見に対して帰謬法さえ使う中観派の教祖なのである。

仏教が中国に渡った頃、すでに中国には「老荘思想」いわゆる「無の思想」が定着していたであろう。

「空の思想と老荘の思想」がきわめて近似していることは、「老子・荘子=森 三樹三郎」に詳述されている。

人が自然のなかで平穏に生きるためには、差別があってはならない。そのために対立を拒絶し、無にならねばならないという「無の思想」は すべての対立概念を否定する。

非左非右・非高非低・非貴非賎・・・・。

これらは「空の思想」をあらわすとされる「六不」あるいは「八不」と同様に否定表現であり、この限り「無と空」は同一のものとなってくる。

よって六不をあらわす不生不滅不垢不浄不増不減は空相であるところの諸法を表すと同時に さらに「無の思想」をも現わすことになる。さすれば空は無と同義となり「是故に空の中は色無く受想行識無く・・・」と読み下すことになってこよう。

「無の思想」は「ことば」では言い表しえないとされている。故に感覚的・詩的となり、ときに非論理的になったとしても不思議ではない。

依って 「般若心経」が「仏教漢文の読み方」にしたがい「是故に空の中は色無く受想行識無く・・・」と読まれること自体、空に依拠しながらも、「直感の無の思想」を伝えるお経であり、「燕雀いずくんぞ大鵬の志を知らんや」の世界からできてきたお経であることの論拠に成りえよう。

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